Well I been Meat
City
to see for Mr.ディラン♪Been
Meat City been Meat City♪
Just
got to give me some 'n'roll♪
>ちょっと心配してましたが、佐渡山ライブ成功おめでとうございます。
↑
■ディランさんのカキコミを読んで、ディランさんが私とほとんど同じ気持ちでいたことに驚きます(笑)。
Wherever Ms.ミカキチ@ろーら is, you are
here♪
>でも、元に戻れば満足なのか?と考えると、それともちょっと違って
>表で訊いてみてからの展開&判断を観れる方が、私には面白いし
>そっちの方がなんか共犯新聞的だわ〜とか思ったものですから
↑
■さすが、『共犯新聞』読者のプロ(笑)。
Only
people
just know how to talk to people♪
Only
people know just how to change the world♪
Only
people realize the power of people♪
A
million heads are better than Ms.ミカキチ@ろーら,
So come
on, get it on !
>訊くなら個人的に問い合わせればいいか。ということで挫かれてしまう何か、
>みたいなものの掘り起しこそが「双方向性」という言葉を探し求めていた際に
>そこに含まれていた役割にあった重要な意義なんではないか〜。
↑
■つまり、「あちこちで言われてる」双方向性の限界は、
A←→B
ってことだったんだけど、
ミカキチが言いたいことは、一斉メールのよーな乱反射こそが、双方向性である(べ
き)、とゆーことでしょ?
■朝日新聞やCNNのよーな巨大メディアに比べれば、ほとんど誰も訪れない人外魔境&限界集落(がくっ。)な『共犯新聞』だけれど、
ツールがホーム・ページである、ってことだけで、旧メディアには成し得ない乱反射の双方向性を持っているのだから、ゲストブックはその生命線だよ、ってこ
とか。
■しかし、メディアってーのは新 or
旧にかかわらずに、リリースされた瞬間、世界に向けて無防備になるのだから、そのリスクこそが可能性の代償なわけで。
私は7月18日(海の日)にサッポロ・ファクトリーで、映画『コクリコ坂から』を
観たんだけど、
準主役の男子高校生は、1963年の横浜郊外の高校で新聞部の部長をしていて、ガリバン印刷で(たぶん)B5サイズの新聞を発行しているんだけど、
それは、たぶん教師の検閲のない、牧歌的なアジ・ビラのよーなもの。
私も1979年の北海道で高校の新聞会の会長をしていたんだけど、ガリバンを使ったほぼ最後の世代だろーな。
で、トーマス・ペインのアジビラ(?)『コモンセンス』のように、すぐれた言葉が、すぐれたメディアに載れば、それだけで「運動」となりえるんだよね。
映画の物語は、その少年の親友である生徒会の会長が、彼らが住む生徒寮を学校が廃止する動きへの反対運動を始めることで大きく動き出す。
ちなみに、この映画で最もすばらしいのは動画でも脚本でも声優でもなく、
チラシの裏に書かれていた宮崎駿が2010年1月27日に映画の企画のために書いた覚書「港の見える丘」だっ
た。
■私も見習い(?)「政治家」を始めて、数ヶ月。
たとえば政治家と官僚(=行政マン、県庁&市役所&役場の職員)の違いは、
シンガー・ソング・ライターと詩人の違いにも似ていると想う。
つまり、それぞれに扱っている商品は同じなんだけど、政治家とシンガー・ソング・ライターにはさらに「パフォーマンス」が付きまとってくる。
官僚が立法や政策企画をし、政治家はさらにそれを路上やテレビや議場でスピーチする。
詩人は公園や書斎で詩を書き、シンガー・ソング・ライターは大勢の前で詩を唄として表現する。
■映画『コクリコ坂から』にこじつければ、新聞部の部長の「理念」に「パフォーマンス」を加味したのが生徒会長。
■なぜ、官僚や詩人だけではなく、政治家やシンガー・ソング・ライターが求められているのだろうか。
我らは乱反射の双方向性のド真ん中で、宇宙の孤独の乱反射を体感しつつ、自らの孤独の重層性をこっそりめくりながら、そのすきまにいつの間にか芽生えたも
のを見つけることだろう。
→『ブロンド・オン・ブロンド』は、私が最初に聴いたボブ・ディランのアルバム(2番目はフリーホィーリン)。
ちょっと理由があって、ボブ・ディランを聴きなおしてたんだけれど
「スーナー・オア・レーター」の次に
「I WANT YOU 」が来る、っていうのがなんてすごいんだろう、と
(しかもその前にジョアンナのヴィジョンがある)
今更なことにあまりに感動して
自分のブログで「スーナー・オア・レーター」の歌詞を紹介した後に
ラジオで I WANT YOU をかける、という誰も気づかない自己満足なことをしていました。
Ms.月見猫's intentions are good, I use my intuition♪
It
takes me for a ride♪
But I
never understood other people's superstition♪
It
seemed like suicide♪
>タイトルがなつかしい〜。
↑
ロック原始人館事件の歌
投稿者:久保AB-ST元宏 投 稿日:2011年 8月29日(月)15時39分34秒to see for Mr.ディラン♪Been Meat City been Meat City♪
Just got to give me some 'n'roll♪
>ちょっと心配してましたが、佐渡山ライブ成功おめでとうございます。
↑
■ディランさんのカキコミを読んで、ディランさんが私とほとんど同じ気持ちでいたことに驚きます(笑)。
>夜高あんどん間際の忙しいさなか、お疲れ様でした。
↑
こーゆーのは縁ですから、ディランさんに佐渡山さんのライブをする紹介を受けて、
しかも、佐渡山さんを知らなかった文雄ちゃんが曲を聴いて大ノリ&ノリで、実現したのですから、これもまた☆いかしたハプニングでした(?)♪
■で、マジに佐渡山さんの曲が大好きになった文雄ちゃんは、夜高あんどん祭りの最中、カフェ昭和プラスで、佐渡山さんのCDばかりをずーーーっとかけてい た、んだって♪
すると、いつも祭りの時はドリンク1杯で長時間ねばる客ばかりなのに、今年だけは客の回転が速かっ た!そうです。
なかには、「この曲、マスターの趣味?」と、渋い顔で帰ってゆく客もいたそうです(笑)。
佐渡山さん、ディランさん、いろんな意味で、ありがとうございます♪
>佐渡山さんが受け入れられるお客さんならあとはだれが来ても大丈夫ですね。
↑
佐渡山さんを少し知る者も、佐渡山さんにそんなイメージを勝手に抱いているだろーし、佐渡山さんもわざわざ、それを否定する作業はしないでしょう。
昨日の北海道新聞の書評欄で仲井戸麗市@チャボが、
原口統三(は らぐち・とうぞう、1927年1月14日〜1946年10月25日)『二十歳のエチュード』を
紹介していたのに驚く人もいるだろーけど、さもありなん。
佐渡山さんは彼の歌では想像もつかないほど、ある意味で器用な人であり、それは多くの表現者もそうなんですよね。
その事実は表現者の作品の質を低下させることはなく、むしろ、そうでありながら、さらに生々しい表現を行っている事実をこそ我々は体感すべきなんですよ ね。
佐渡山さんのインテリ度数の高さを確認できたのは、明らかに今回のライブを受け入れた側に立てたからこそであるので、
ライブ企画を紹介していただいたディランさんには、またしても、ありがとうございます、なのでした。
■そう&そう、あの芦別市ディランのアリーナ席で、私が佐渡山さんのライブを見たとき、
最後の曲をストローク一発で終えた佐渡山さんはギター・ピックを指から飛ばして、目の前の私にくれたんだけど、
その「佐渡山組」と金色で書かれた黒いピックは、私 が4月の選挙で使ったピックなんでした〜♪
そのピックをジーンズの尻ポケットに忍ばせていた私は、打ち上げでその話をしつつ、佐渡山さんにピックを見せてお礼(?)をいいました(笑)。
>あちらこちらで本当の音楽が響き渡るってのはいいですね。
↑
今日の朝日新聞にアーティストのヤノベケンジが、
インタビューで震災&原発事故以降の表現活動について語っていて、その中から抜粋。
↓
「核の問題から目をそらせなくなったアメリカと日本、中央と地方など、大きな力と圧迫される側という構造が透けて見えた」
「自分だけのスーツなのではなく、いわば媒体として機能するのが自分の役割」
「すべてがなくなったことを悲観するのではなく、何でも作っていいんだというポジティブな 力に変えていこう」
「もう一つ作っているのは、実際に除染ができる作品です」
「カテゴリーに収まる程度のことでは、対抗できない時代になっている」
↑
「佐渡山さんは沖縄フォーク村を作りましたし、エレックなどでフォーク・シンガーとして活動されましたが、
私は今回はあえて、”ロック・シンガー佐渡山豊”としてライブを企画したんです。」
と、私が言うと、佐渡山さんは、すごく嬉しそうにまた色々と語ってくれました。
それが、午後11時ごろで、佐渡山さんのボブ・ディラン論に拍車がかかったのは午前1時過ぎでした(笑)。
こんな貴重な時間をディランさん、またしても、ありがとうございました!
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